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以下は三人のおじさんの紹介を兼ねての航海記である。(雑誌「舵」12月掲載のオリジナル)

おじさんたちの夏休み (神津島航海記) 


神津島に停泊のカタリナ30

1、 沿海仕様
 さて,今回の神津島は,ホームポート(蒲郡・形原)よりかなり遠く,ヨットの船検を取り直す要がある。

この船検は,ヨット乗りとってはやっかいな法律でる。現在は限定沿
海という仕様になっていが,これは三河湾,

伊勢湾周辺のみの航海を許されるもので
ある。                                    発煙筒,消火器→
 

  神津島まで行くには,それを沿海仕様に変更しなければならない。これには,めったに使いそうもない,法定備品それも日本小型船舶検査機構

の認定マーク
の備品をたくさん揃えるとことで合格する。この認定マークが曲者で,3千円も出せば買えそうな消火器が1万円もする仕組みになっている?,

 影の声の二人(誰のこと?)は,「海の上はおまわりさんが立っていないので,バレしない。このまま出かけよう。」と誘いをかけてきたが,正義の味方である私は

悪法も法なりと格好いいことを言って断じてはねのけた。それに,いつか日本一周する時には結局必要なんだから・・・。

3年越しの計画と言いながら気が向いた時に「それじゃ,やるか!」という程度であまり計画的とは言いがたい。そんなこともあり,沿海の船検がパスしたのが何と出発日の前日,そのため検査を受

けた日産マリーナからホームポート(形原港)まで回航する時間がなく日産マリーナから出航することになった。(何となく,さい先悪いなあ。)

2 、日本全国今日から盆休み 8月9日(土)8時
形原港に6時45分(この時間の細かさがいい かげんのように見えても,いざととなればしかっりしているところ)に集合する。ここで隣のヨット(カタリナ27)から,命の頼みの綱のゴムボートなど

移し替えて日産マリーナに移動する。(回航できずにいたのでやむなく) 日産マリーナで車から,食糧12食(3人×4),水(60L),燃料(80L)をヨット(カタリナ30)に積み込んで午前8時に出航。

これは二日分(48時間)の食糧と燃料である。最悪の場合でも2日間流されれるか,機走すれば,紀伊半島か伊豆半島付近にたどり着くだろうとの計算である。 (南に流されたら...あきら
める?)

 文字通り神津島に向けて出帆する。けれど日産マリーナは午前9時より営業のため,送ってくれる人は誰もいない。もっとも台風12号の余波を受けて,
強風・波浪注意報が出ている状況では,

営業していたら「お客さん,出航を見合わせたら・・」と止められることは間違いないだろう。おじさんとしてはギャルに声援して送ってもらいたかったが・・まあいいか,いつものことだからしかたない・・

 天候は曇天,風は強く波は高し。しかも風向きが悪く伊良湖方面から吹いてくる向かい風(真上り)である。当初の予定では伊良湖岬沖で,方向転換し神津島に向かう予定であったが,さすがに風

には向かっては進めないので,左の篠島の方向に帆走する。しかし,風,波は予想より強く(風速10Mは優に超していたであろう)波をかぶって思うように帆走できない。しかなくジブをたたみ強風

対策を取る。それでもヨットは40度以上傾いている。出帆して3時間余り,未だ三河湾の真ん中でうろうろしている。

(全行程120マイルのうち6マイル走っただけ・・情けない)強気の我らもちょっとびびりはじめ,篠島に入港して体制を立て直すことにした。海上ではうまくたためなかったジブファーラーをたたみ

直し,メインセイルを1ポイントリーフし荒天対策を施す。 携帯電話で天気予報を聞いて見るも相変わらず強風・波浪注意報は出たままである。

それでもと気を取り直して,静岡地方の天気予報を聞いてみるが変わりない。誰となく「一度ひき返して,明日再度挑戦するか。」との声もでる。

「旅館の料金が3万円損するしなあ!」
この声で,再度伊良湖岬をめざしそこで風・波がこれ以上強かったたらひき返そう,ということになった。考えてみると
大の大人が3万円で重大な事が決まるとは情けない。

言ってみればおじさんたちの命は1人1万ということになる。私はもちろんひき返そううと言ったのだが・・・2人には聞こえなかったようだ。3万円がもったいなくて・・・。

3、 気を取り直して篠島を再出発 9日午前11時00

篠  島
 波風は相変わらずで変化なし。ただ,1ポイントリーフの効果もあり,いくらか走り易くなった。やっとも思いで12時過ぎに神島沖に出る。さてここが行くか戻るか,

思案のしどころである。


湾内よりむしろ波はよいが,風の強さは変わらず。いろいろ協議したが・・最年長のKさんが「台風も遠くに行っているし,これ以上は悪くならないででしょう。」と落ち

着いた態度で判断しこのまま続行する。
願わくば,3万円の魅力に負けたのではないことを祈るばかりだ。



ここで出発して初めてタックして,問題の伊良湖岬水道を横断し神津島に向かう湾内では南風だったのが,南東にふれており,また上り風である。それでも真上りでなく片上りであるのが救いであ

る。今までラットにぎっていたOさんは,この時点で船酔いがひどくなり,キャビンにこもってしまった。ここで私が代わって担当する。

(この時点では翌日の午前7時までの17時間余りを担当するはめになるとは想像だにしなかった。)   Kさんはいたって元気で,孫の撮影用に買ったと思われるビデオを持ち出して,伊良湖の灯台,

神島あたりを悠々と撮影している。ビデオには手作りの潮風よけが付けてある。効果の程は疑わしいが,このフードがいかに孫をかわいがっていかを物語たっている。

4 、「3秒」の鉄則 9日午後3時
 

3秒以上は入れないキャビン
浜松沖,天気は快晴,波高3M,北東の風強し。30分に1度きまぐれな波がやって来て,スプレーを頭から浴び,同じく30分に1度,風で傾いた低い舷が水をすくう。

そして1時間に1度大型貨物船(本船)と出合う。この繰り返しで,恐いながも単調なクルージングである。タックもジャイブもない。ただ,真夏の太陽が出ているので,

スプレーを浴びてもさほど苦にならないのが救いである。 たまらないのは,うねりのためヨットが2〜3m常に上下していることである。そのため,慢性的な酔いの現象

で何も食べる気にならないし,何かをしようとする意欲が全く起きない。


キャビンに入るのがもっともいけない。大げさでなく,キャビンに入ると3秒しかもたない。中に入って帽子を取ることは可能だが,帽子とタオルの2つはできない。
スイッチの1つはON,OFFできるが2つやったら酔う,そんな状況である。だから,目当ての食糧を捜して電子レンジに入れ時間をセットして取り出すなんて,大作業はとてもできやしない。

でも私はまだ酔っていない,キャビンに入る時は,
3秒以内の鉄則を守っているからだ。それに皆に馬鹿にされながらも酔い止めの薬をきちんと飲んだから・・・

本当の効果の程は分からないが。

5、 日没,給油  9日 午後6時30分


 うねり,波,風,全て変わらず,ただ風向が南に振れ少しアビームになり走りやすくなった。暗くなる前に燃料をポリタンクより補給する。これがまた大変である。

給油口がヨットが傾いているため海水に時折ふれるので,ヨットをランニング状態にしてして水平に保つ必要があるからである。給油口がキャビン内にあれば,こんな苦労はしないですむわけで

あるが,今回の場合は外にあったことに幸いした。なぜなら中にあったなら「3秒の鉄則」が守れなかったからである。

6、 未だ御前崎沖 9日午 後9時
←御前崎の夕日
1時間おきに,ヨットの位置,船速,目的地までの距離,波風の記録をとっていた。(見かけよりもしっかりしている)しかし記録はここまである。ということは,

記録をとる時間は誰かがラットを変わってくれていたが,ここからは他のクルー
(といっても2人)が完全酔ってしまっていたからである。

こうなれば最年少の私が頑張るしかない(オジンの中では若いのだ)

 皮肉にも快晴で,天の川も北極星も北斗七星,カシオペア座もよく見える。ヨットの引き波で夜光虫も輝いて見える。しかしそんなものを味わうだけの心のゆとりがない。

暗く,30分に1度のスプレー
,大きなうねり,時々襲う酔い・・
7 恐くて,寒くて,長い夜 8月10日午前0時
南西の風にかわりクォーターとなり船速は機帆走で7ノットをキープしている。起きているのは私だけである。けれどスプレーを浴びるのでラットを持

つ元気はない。ドジャーの影にかくれ,少しでもそれを浴びないような姿
勢をとっている。それでも時折浴びてしまう。             荒れる海→

キャビンに着替えに入って酔うよりは,まだ寒い方がよいと濡れたままである。

 GPSの示す方向に舵を向け,後はオートラーダーにまかせ切りで前方すら見ていない いくら広い海でも衝突の可能性はある。小さな漁船も映る5マイルレンジにし,15分に1度レーダーで確認する。

それだけである。大型貨物船のスピードを20ノットとすれば,レーダーに映ってから15分ばかりの退避行動がとれる。そこから割り出した15分である。 ただ,本人は15分おきに見たつもりであるが,半

分寝ているので30分のときもあったかもしれない。後は念力で避けるのみ。

 それでも1人に任せたのでは気の毒と,どちらかがときおり様子を見に起きてくる。しかし,船尾で用をたしながら「小便すると夜光虫がきれいだぞ」とわけのわからないことを言って,またキャビンで

眠ってしまう。 


8  空が白みかけ星が消える。 10日午前5時

 波風変わらず。神津島まで10マイル余少しでも明るくなると元気が出るもの 先程までの不安は嘘のようで,もう少しだと思うと気分は,すこぶるよい。まだ出ていない朝日の方向に向かって帆走。7ノットは出てい

る。快走である。実は日産マリーナを出てから,純粋に帆走したのは,たった2時間のみで,あとは帆をあげての機帆走。半分以上エンジンの力,風の力が少し,こ れでヨットと言えるか??)

  9  揺れない大地で  神津島着10日午前7時00 
神津島港

 見知らぬ港に入るのは,快い緊張を伴うものである。色々寄り道をしたが予定よりも2時間早く着いた。所要時間は23時間である。          

「思ったより早くついたなあ,オーバーナイトって意外と簡単なもんだな。」

とキャビンから出てきた二
人が言う。あのねオーバーナイトと言うのはね,ヨットで一晩寝ることではないの,一晩ヨットを走らせることを言うの!。 

 雑誌「舵」の写真で確認した漁港の一角に停泊する。港の中に入り水深が浅くなるにつれて,暗い青から明るい青に変化する。三河湾・伊勢湾では絶対に見られない海の色である。

いつかは来てみたいと思っていた神津島についに来た。少年のような満足感がみなぎってきた。揺れない大地で大の字になる。
天上山

ジュリアの碑
10 おじさんたちの夢の島 10〜12日

 神津島,人口2200人,産業は漁業それと観光。飛行場,高校あり(何と都立高校です)。  我々の行った時期は,お盆で観光客が多く島の人口は倍以上に増えている。大部分が若い

グループで,残りはニューファミリーである。おじさんだけグループは,はっきり言ってない。島のあちらこちらに海水浴場が整備されており,観光客は海水浴を目当てにくる。そのためか,

島の道路,土産物店にいたるまで水着のギャルで溢れている。おじさんたちにとっては夢のような島である。

さらに,温泉がすばらしい。もちろん男女混浴である。波打ちぎわに作られた露天風呂でとてつもなくでかい。ヨットではあれほど恨めしく思った,うねり・波が,ここでは岩に当たりくだけ,まるで東映の映画

のシーンのように雄大である。熱くなればすぐ外は海で,体をつけると何とも
気持ちがよい。2日間ともこの温泉に出向いてきた。(言い忘れたが水着の着用が義務づけられている!!)


島を観光するためにバイクを借りることにしたが,私は残念ながら車の免許証を持って来なかったので,Oさんと相乗りするはめになった。(私はヨットで海に出るのに車の免許証を持つ程
の非常識さはも持ち合わせていない。)

およそ人が通りそうもない山道まで,舗装してあるのには感心した。その山道のコナーを果敢に責めるのはKさんである。なかなかのテクニックである。なるほどかって1000CCのバイクに

乗っていただけのことはある。しかし,ゲンチャリで60Kmのスピードで走るのは危険である。Kさんから1000CCのバイクを取り上げた奥さんの判断は正しい。

島は周囲24Km程で,バイクで回ると都合が良い。「ジュリアの碑」「流人墓」「灯台」等の人口的なものもよいが,自然の景観の「千両池」「天上山」などは一見に値する。「千両池」は正しく

は池でなく小さな入り江である。一晩で魚が千両も獲れたことに言われがあるらしい。深くてその入り江の紺碧さはグレートバリヤリーフ以上である。(見たことはないが,きっとそうである)

千両池
グレートバリヤリーフ


11、 神津港出航 8月12日午前9時

 3日前の荒れた海と打って変わって,うねりは残っているものの,微風で穏やかである。夜半(御前崎沖)より,星が海に映る程のべた凪となる。おかげで今度は,天の川も夜光虫も堪能で

来た。しかし機走になり,ヤンマーの音を聞きながら3日前の風を半分くれと贅沢なことを考える。それ以後の10時間は何と機走のみ。そのためにおじさんたちは誰も酔うこともなくのんびりクル

ージングできたが,年少の私は何か物足りない。

12 、こりないおじさん    8月13日 午前10時

 予定より1時間遅れてたが,25時間かけてホームポートに無事着く。オーバーナイトでくたびれているのに「来年は,どこにクルージングに行く? 」とこりないおじさん

たちである。


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