おじさん達の夏休み(三宅島)


 平均年齢が55歳(昨年55歳なら今年は56歳だろうって・・・小さいことにはこだわらない!)を超すという3人のおじさんたちの航海記録である。もとより,冒険でも大航海でもない。

ましてや,航海を通して人生の教訓を得ようなどという崇高な目的もない。ただ,自分たちの遊び心を満足させるだけのものである。

1  神津島航海の反省から
昨年は台風の余波の残る中を神津島行きを敢行し多くの反省いや経験をした。まずハードウェアから,いざという時の対処を考える。

セールが破れたら ・・・・ ディーゼルエンジンがあるさ。
・エンジンが止まったら・・・・ 帆走あるのみ。ただし見知らぬ港に帆走のみ で入港は難しいので,引き返す。
・GPSがこわれたら ・・・・ コンパスがあるさ,と言いたいが我々の技量では 目的地にはつけぬ。やはり引き返す。 コンパスで西に引き返せば紀伊半島のどこか
  に着くだろう。
・オートラダーが故障したら ・・ 自力で頑張るのみ。おじさんにはちょっときついが・・
・舵が脱落したら
・・・・・・・ 舵が効かなければ,セ−ルもエンジンも役 に立たず。引き返すことも不可能     
非常用の舵
ということで,今回は非常用の「舵」を製作準備(自称,技能オリンピックの腕前の小笠原が製作)。もちろんこんな非常用のもので荒天を乗り切れると考える程,

我々も甘くない。海が荒れている時はひたすら耐え,静まったらこの「舵」で逃げる算段である。次にソフトウェアの観点からの見直しである。

前回は,荒天のため酔いにずいぶん悩まされた。 小笠原・河合の両名は,自分たちだけ酔って,私が酔わなかったことがいささかショックだったらしく,私と何が違ったか

考え解決策を見いだそうとしていた。  そして両名の
出した結論は,
1.自分たちは酔い止めの薬を飲まなかった。
2.冷えたおにぎりを昼食に食べた,である。

両名は今年は酔い止め薬を飲み,昼食はサンドイッチとすると宣言していた。1.2.は酔いの誘因にはなるだろうが根本の原因ではでない。二人は年齢と気力という基本

的なことに気付いていない。今年もたぶん酔うだろう。(おじさんの中では私が若い!)

2, 形原港出帆    8月8日(土)7時40分
天気図には台風のかけらもなく,「梅雨明け10日」も地でいくような夏晴れ。 この時期には珍しい北西の風でアビームの風を受けて伊良湖岬に向けて帆走する。

先週した船底塗装の効果もあり6〜7ノットで走る。聞こえるのはバウが波を切る音とセールを流れる風のみ。さい先の良いスタートである。

 伊良湖沖でタックして進路を三宅島に向ける。ここまでの20マイルを予定の4時間を3時間で走る。昨年のこのころは三河湾の真ん中でウロウロしていたことを思えば雲泥の差である。

そしてまだ誰も酔わない。

3, セミ,トンボ,ハエ,チョウのお客
 酔いの原因とされた問題の昼食も終わり,伊良湖岬を回って3時間あまり,風もよく快走。そんなおり,河合さんがバーベキューをやると言い出した。

これには小笠原も私も驚いた。なぜなら,ヨットには,コンロ
もオーブンも電子レンジもついているが,使うのは電子レンジでチーンするのがやっとで,

コンロもオーブンも火すら入れたことがない。キャビ
ン内での料理は酔いが心配なのと,料理の腕に全く自信がないからである。それが,急にバーベキューである。

二人のあきれた顔を尻目に,河合さんは色々な
アイテムを出してくる。なんとキャビンでなくコックピットで料理できるように,シンバルのコンロを自作していたのだ。

うまいことに,追い風にかわっておりコックピットはほとんど風はなく,牛肉の焼けるにおいが何ともたまらない。さすが亀の甲より年の功である。

その匂いにつられてかセミ,トンボ,ハエ,チョウがヨットに飛んできた。太平洋の真ん中(ちょっとオーバーか,(それでも岸までは15マイル程はあろう)・・・・ いや飛んで来たのではない,蒲郡からヨットに

くっついてきたのだと,3人でカンカン
ガクガク・・・その結論は,トンボとチョウは数匹いたので,どこかから飛んできた。

セミは洋上を長い距離を飛べないないだろうから船にくっついてきた。ハエは停泊中によく見るのでこれもヨットにくっついてきた。ということになった。珍しいお客でしばし楽しませてくれたが,

セミはあっけなく海に落ちてしまった。


4, 御前崎沖 18時00分
←御前崎灯台
ここまでは,波もなく南西の追い風で,文字通り順風満帆である。ところが うまく行かないのは世の常で,このころから無風になり,さらに南東の向かい風とかわり,

雨も降り始めた。天気予報では
今夜も晴れと言っていたのに・・・・

梅雨前線の影響か風は強くなる一方で,10Mを越える風になってしまった。まさに昨年の台風の余波をまともに受けた夜の再来でそれが,急にバーベキューである。

二人のあきれた顔を尻目に,河合さんは色々な
アイテムを出してくる。なんとキャビンでなくコックピットで料理できるように,シンバルのコンロを自作していたのだ。

うまいことに,追い風にかわっておりコックピットはほとんど風はなく,牛肉の焼けるにおいが何ともたまらない。さすが亀の甲より年の功である。
                                        
ジブをたたみ,メインを真ん中に固定してエンジンを軽く回し,ぎりぎりに上る。それで何とか進路を保てたのは一時で,風はさらに強くなる。やむを得ずエンジンの回転を上げ小刻みにタックをくり返して無理や

りに進む。このころから酔いがあらわれ無口と
なる。(私ではない)

 海は荒れているがエンジンのおかげで上り角度,スピードともによく・・・・と自らを慰めていた。ところが,何とGPSのスピード表示は3〜4ノット。エンジンの回転,舷を流れる波から見れば,少なくとも5ノット以上

出ているはず。なぜだ?
 潮流の影響か? 踏んだり蹴ったりである。
 バウが波に突っ込み,スプレーがドジャーを越して飛んでくる。次の瞬間バウが音とともに波間に落ちる

コックピットは雨と海水で水浸し。船尾に近いステアリングは,雨・風・スプレーがまともにあたり,誰も操りにいかない。タック

する時のみで,オートラダーにまかせきりである。おじさんの一人が,「5万円出すから,蒲郡に帰して・・・」と弱気なことを

言い出す始末。何を言っている。
この状況からすぐ逃れられるなら,私なら10万円だすぞと思ったが,ぐっとこらえて,「情けない」と冷ややかな目で見返す。

今年も辛くて長い夜であった。

それでも,昨年の経験が生きたのか,酔いながらもワッチの責務は一応果たしたことを二人のおじさんの名誉のためつけ加えておく。

5, 三宅島
 夜明けとともにGPSの示す方向に三宅島が見える。愛知県からみれば,三宅島はピンポイントである。そこにぴたりとつけるGPSの威力にはいまさらながら

感心する。

ナビゲーターは,太陽と星そして水平線・・とロマン溢れる時代であったら,おじさんたちは三河湾から気楽に出られなかったことだろう。

 今年も色々あったが,8月9日午前10時に予定通り三宅島の阿古漁港に入る。自然な地形に人口の防波堤が幾重にもあり,中はうねりは全くなく穏やかである

 ヨット(桃色珠穆朗瑪・・読めません・・・八丈島に行く途中とのこと)に横に抱かさせ
てもらい案じていた係留もなんなくできた。ビルジポンプのスイッチを入れると,

船尾
からとめども無く水が出る。ドジャー越しに上からキャビンに入った海水である。昨夜の奮闘ぶりを物語っている。その船尾に熱帯魚のようなきれいな青い魚が
泳いでおり,
黒潮の島についたと実感。
次の日バイクを借り,島(周囲38KM)めぐりする。20年前の噴火で埋もれた中学校の校舎は溶岩流のすさまじさを

想像させる。

その溶岩のせいか島の
サタドー岬海岸は白砂青松とはいかず,黒砂の海岸で他の島と違った雰囲気をかもしだしている。

そのためか海水浴客は少なく,スキューバダイビングに興じている若者が多かった。
島の西と東に同じように灯台があるが,まるで海岸の様子は違う。東側はサタドー岬(悪魔の岬)と呼ばれるよう

に黒い断崖に波がうち寄せており,島の厳しい一面を見せている。一番のお薦めは雄山(815M)からの眺めだ。

←サタドー岬の灯台


7  神津島

神津島三浦港カタリナ30
 あの波打ち際の大ききな露天風呂の味が忘られず,今年も神津島に寄る。三宅島で午前中過ごしたので,着いたのは夕方である。

神津港では,うねりに苦労したので今年は三浦港に入る。ここは防波堤が二重三重にあり,うねりは全く入ってこない。そのためか

ヨットも5艇程入っていた。

 夜の海を見ながら入る露天風呂の味は格別である。さすがに夜は客も少なく大きな温泉を一人じめしている気分。そのうち若い男女が4〜5名入ってくる。おじさんたちを尻目に何と夜の風呂の中で写真を撮り

合っているではないか。風呂に入るのにカメラを
持ってくる発想は,残念ながらおじさんにはない。若者たちは何度もこの風呂を経験しているのであろう。初めてではちょっと気づかない。

 隣のカップルにシャッターを押してと頼まれた。勝手にしろと言いたかったが二つ返事で引き受けてしまい我ながら情けない。(混浴であるが水着の着用が義務づけられている。!)

昨年は土産店まで水着のギャルで溢れていたが,今年は全く見かけなかった。その代わりと言ってはおかしいが,キャミソール,スリップドレスが花盛りである。離島まで流行とは恐ろしいものだ。

8 島の生活 (神津島)

漁港の片すみで網の手入れしている老夫婦に親しげに声を掛けられた。その老夫婦によると,神津島は本当に良い所だという。泥棒もいないし,交通事故もない。

東京都も港や海岸,道路をよく整備してくれる。学校も高校までできた。気候も穏やかで魚もよく獲れる。ただ,漁に関しては年々獲れなくなっていると言う。黒潮の流れが変わっているからだろうとのことである。

それでも値が上がっていることもあり生活
には困らないという。

 ほんの数年前までは,港の整備が遅れていて,台風が近付くと下田港まで退避していたが,今は,その必要がなくとても助かっていると話された。台風の前と後で都合1週間の退避では大変である。さらに聞い

てみると,この島では,冬は北風が
強く海が荒れて漁ができない。3月から台風の来るまでの半年勝負だそうだ。自然に左右される島の生活は,私には厳しいように思えたが,息子は島を出ているものの,

老夫婦は島の暮らしに満足していると言う,自然をそのまま受け入れ,不平を言わない心の広さと豊かさに感動した。

 多くの漁港では我々のようなヨットを含むプレジャーボートは目の仇にされているのが現状だ。それは漁港は漁師の働く場所あり,チャラチャラしたヨットやボートは邪魔者以外なに者でもないことは理解できる。

ところが,三宅島,神津島ではプレジャーボートに対して温かい。これは自然を受け入れる島の人の心の豊かさに起因しているのだろう。

9, トローリングに釣果あり


河合さんは今回の航海では,色々のアイテムを準備してきた。その一つがトローリングセット(ケンケン)である。ところが初日は,10時間程流したが全く手ごたえなく「6000円損した,その分で魚を買った方が良かった。」
と弱音を吐いていた。おじさんセーラー
は,一旦帆走に入れば,タックはしない,セイルをトリムもしない,舵も取らないで,しごく暇なのである。神津島からの帰りも暇にまかせてケンケンを流す,もちろん誰も当てに
していない。

突然,潜航板が浮き上がる,魚がかかった証拠だ。必死なって糸を巻く。なかなかの手応えである。何と体長60〜70CMもあろうかという目の覚めるような青色の魚が3匹もかかっている。 2匹は逃がし,一番大きい

やつを,魚料理の好きな小笠原が,慣れない手つきでさばき,刺し身にして3人で食べた。魚の嫌いな私もこの時ばかりは大いに食べた。

航海記によく出てくるシイラである。

何だか我々もいっぱしの航海をしている気分になり,6000円の元は十分とれた。
10, さて来年はどうする

三宅島では,もう来年は絶対来ない,と意見が一致したおじさんたちであった。しかし,ホームポート(形原漁港)に着くと

「来年はどうする?」「八丈島に行くぞ!」と元気な声が聞こえる。

八丈島は185マイル,おじさんたちに36〜40時間の航海に耐えられるだろうか。 今から心配になってきた。

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